犯罪被害者側の代理人である弁護士に働き場所を!!




1    前回の法連草の記事については、一部の人に被害者側の弁護士として活動したことがないから、被害者の苦しみに対しての理解が欠けているのではないかと誤解される向きがあったようです。決してそのようなことはありません。ただ現状で、弁護士が犯罪被害者から依頼されて代理人になったとしても、できることといったら示談交渉の窓口になることくらいしかないということを指摘しただけです。くどいようですが、弁護士はカウンセラーでもなければ、被害者の恋人になれるわけでもなければ、宗教家でもありません。犯罪被害者の心の苦しみ、悩みに共感することはできたとしても、それ以上にプロフェッショナルとして何ができるかというと何もできないということを指摘しただけなのです。
 だからせめてできること、示談交渉はきちんと、加害者と向き合って行わなければ弁護士が代理人になった意味がないでしょうと指摘した次第です。
 そこで今回は、弁護士が被害者のためにできることが限られている今の制度でよいのかという観点から私の考えをまとめることにします。 
  とはいいましても、決して新奇な主張をご披露するわけではありません。
 どういうことかというと、犯罪被害者が刑事裁判の手続に正式に関与できる権利を一日も早く認めるようにしてほしいということです。
 刑事裁判では犯罪の被害者は加害者に対する他方当事者であり加害者にどのような刑罰が下されるのかについて、誰よりも関心を抱いているわけですし、その如何によって自分の気持ちが納得できたり納得できなかったりする立場にあります。ところが現在ではすべて検察官に一任せざるを得ず、自ら直接、刑事裁判に参加できません。最近、意見陳述の機会が与えられるという制度が導入されましたが、あくまでも参考意見でしかありませんし、言葉が悪いですが、ガス抜きの機会を与えるというだけのものでしかありません。そして検察官に一任するといっても、検察官の姿勢にもよるとは思いますが、毎回毎回被害者と面談し、その気持ちや考えを汲み取り、法的にできることできないことを相談してくれる対応をとってくれるわけではありません。ですのでどうしても欲求不満が残るのです。
 よくニュースなどで、判決が知らされて、「なぜ、執行猶予が付くんだ!」、「なぜ、死刑じゃないんだ!」等と不満を記者たちにぶつける被害者関係者の姿が報道されますが、それは自分たちが置き去りにされたまま自分たちの意向を抜きにして刑事裁判が進んだということに対する欲求不満の表れにほかならないと思います。
 さて刑事事件に犯罪被害者が正面から参加できるということになると、従来の刑事裁判と民事裁判との関係も見直しが迫られることになるはずです。
 現在は刑事事件と民事事件とが厳格に手続きが分断されています。刑事事件は、犯罪を犯した人間を見極めて、その犯人に対して国家としてどのような処罰を与えるかを決めるのが役割であり、国家が主役となるものです。それに対し、民事事件は国家は全く関係なくて事件の当事者間の問題として、加害者から被害者に対してどれだけの損害を賠償させるかということを確定することを目標とします。国家が主役になるか事件の当事者の問題なのか違うわけですから、刑事事件と民事事件とが全く別のものとして取り扱われてきたのは当然のことではあります。だからこそ伝統的な法体系も刑事法と民事法で完全に別になっていますし、どんな地方の裁判所でも刑事部と民事部とに厳然と分かれています。
 しかし刑事訴訟の場に犯罪被害者が直接参加できるようになるならば、その場で、当事者間の問題も併せて取り扱うことにして何の支障があるでしょうか。同じ事件を元に刑事事件と民事事件とを別々にするなどというのは、時間的にも不効率ですし、あくまで別々にすることから、刑事事件と民事事件とで、犯罪とされる行為が犯人とされた者により行われたかどうかについて結論が正反対になるというような不合理なこともたまに起こります。そのような不合理を解消することにもつながります。 
  というわけで、刑事事件に犯罪被害者が参加するとした場合には、併せて民事の損害賠償請求事件についても同時に審理するものという制度にするべきだと考えます。
 そのように改善することのメリットとして、何よりも忘れてはならないこと、それは、犯罪被害者にとって納得できようができまいが、刑事裁判で(正確に言えば、その前段階の捜査段階も含めて)一定の結論が出てしまうと、後から民事の損害賠償請求をしてもその認められた損害額を回収するのが非常に困難になるという現実があったということです。
 つまり、刑事事件の結論が未定の場合は、加害者側は被害者に誠意ある対応をしようとする動機があります。それによって刑事事件の有利な情状にしようと考えるからです。ですから刑事事件の結論が未定の間は、もともと加害者が無罪を主張しているような場合は別として、民事の損害賠償請求、回収も容易なのが普通です。必ずしも金額は満足できるものにはならないかもしれませんが、誠実に対応してくれることは期待できます。しかし一度刑事事件で結論が出てしまうと、加害者にはもう失うものはありません。そうすると、民事の損害賠償金の回収はほとんど不可能になってしまうのです。加害者としては、今更不誠実に対応したからといって、遡って不利益を受けるわけではないからです。人間の本質として、皆、そうなのです。そのようなとき、被害者としてできることは、自らコストをかけて加害者の財産を調査し、いい資産が見つかれば強制執行するということです。しかし普通、犯罪を犯すような人に良質な財産はありません。
 そういう加害者の対応に接して、憤らない被害者はいないのです。「じゃ、やっぱりもっと長く刑務所にいてもらいたい」と思うわけですが、もうそのときには刑事裁判は終わっているわけです。被害者としては踏んだり蹴ったりになります。
 あるいは、刑事事件の結論が出ない間に、何とか示談はできたけれども分割払いの約束だった。ところが刑事事件の結論が出たらその支払いが止まってしまったというようなこともあり得るわけで、そのような場合も同様の不満が生じるでしょう。
 それは同じ事件を扱うはずであるにもかかわらず、刑事事件と民事事件とを常に厳密に峻別して取り扱ってきたことによる不合理にほかなりません。 刑事事件と同時並行して民事事件も扱い、民事事件での解決を踏まえた上での刑罰の決め方をするのがよいと考えます。
 そのようにすれば、犯罪被害者も判決の結果に対し、一方的に不満を抱いたりすることは今よりも少なくなるものと思います。
  ところがです、我々の同業者の間では、犯罪被害者が刑事事件に正面から参加するということに対して、消極的な意見の方も少なくありません。その理由はよく分かりませんが、刑事裁判で感情に流され、量刑がより厳しくなりはしないかであるとか、裁判員制度も導入されるとその懸念はより現実的なものになるとかいう主張のようです(そればかりではないようですが、不勉強のため承知しておりません。)。しかし犯罪被害者が参加することになって量刑が重くなるのだとしたら、それは端的に今までの裁判がいかに被害者不在で被害者の気持ちを考えていなかったかということを物語るものでしかありません。別にそれを忌み嫌う理由はないと思います。
 それに私は陪審、参審は刑事事件というよりむしろ民事事件でこそ導入が検討されるべきであると考えております。その意味で、もし刑事事件と連動して民事の損害賠償請求も審理されることになれば、その限りにおいて、民事事件にも裁判員が関与する可能性が出てくるので(裁判員にそこまで関与させないというのだとすると、それは本当にもったいないことですし、大反対です)、大変すばらしいと思います。一般の裁判員が関与して慰謝料などが決まることになれば、現在の安すぎる慰謝料も市民感覚に沿った相当な水準へと推移していくことも期待できます。
 そして弁護士として、今まで刑事事件では加害者側の弁護人として関与することが多かったのに対して、被害者側の代理人としても訴訟活動することができるようになるので、弁護士の職域も一挙に拡大します。
 そのかわり、民事の損害賠償の審理も関わってくることになれば、刑事事件の審理期間は今よりも長くなることは避けられません。しかし、半年も一年も余計にかかるようになるということはないと思います。やってみなければ分かりませんが、おそらく許容範囲内にとどまると思っています。
 



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