弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入の是非


 皆さんは、裁判を起こしたとき、あるいは相手から理不尽と思われる裁判が起こされたとき、自分が頼んだ弁護士さんに支払った費用を相手に負担させることができたらなあと思ったことはありませんか?相手の対応のせいで裁判沙汰になり弁護士に高額の報酬を支払う羽目になったのだから、相手に負担させて何が悪いと思ったことは少なくないでしょう。
 ですが現在、原則としてそれは認められていません。
 ところが、現在、司法改革の一環として裁判に勝てたら負けた相手に対して弁護士費用を負担させることができるようにしようではないかと議論されています(最初にこの記事を書いた頃には議論されていましたが、現在は表だって議論されていないようです。)。
 「おお、そうか、早く実現するといいな」と感じられる方も少なくないでしょう。
  しかし、ちょっと待ってください。問題はそれほど単純ではないのです。

 裁判というのは、請求が通るか通らないか、やってみないと分かりません。真実は一つだから、結論も予め分かるはずと思っていたら大間違いです。自分の主張を裏付ける証拠が乏しかったら、その主張は認めてもらえない可能性があります。証拠が乏しかったために、どれほど多くの人が泣いてきたことか・・・
 また証拠が十分であったとしても、自分の考える良識と、裁判所の考える法解釈とに齟齬があることも少なくありません。相手の行っていることが違法行為であると考え、証拠がそろっていても、裁判所が「この程度のことにいちいち目くじらを立てる方がおかしい。」という場合も少なくないのです(トピック・損害賠償請求事件の底流に潜む受忍限度論的思考もご参照下さい。)。
  つまり裁判というのは真実を判断してもらうための制度だとはいっても、全てお見通しの神様が判断するわけではなく、人間が判断するのですから予想外の結論になることは十分ありうるということを考えなければなりません。
  野球の審判やサッカーのレフェリーの判断も思い起こしてください。残念ながら明らかな誤審があります。ビデオで再生すると明らかに間違った判断をしているという場合があります。しかし、その審判の判断は覆りません。なぜなら一定のルールの元で中立公正に下された判断である以上、それが正しい判断であるとして受け容れて試合を進めなければならないからです。そういう割り切りがなければ試合が進まないのです。同じ事が裁判にも言えるのです。

 さて、そこで問題です。
  あなたは、一応自信はあるつもりでもよくよく冷静に考えると本当に勝訴できるかどうかは分からない、つまり敗訴して自らの負担した弁護士費用はもちろん、相手の弁護士費用も負担せざるを得なくなるかもしれないとして、訴訟を提起しますか?
  もちろん、あなたが勝訴すればあなたが負担した弁護士費用も相手に負担させることができますが・・・。
 要するに弁護士報酬を敗訴者に負担させるということには、プラス面とマイナス面があるわけです。そのどちらを重視するかは、皆さん個人の価値判断によるでしょう。この点、私は次のように考えています。
 つまり、訴訟を起こすことが事件の内容自体について勝敗をつけるというだけではなく、弁護士報酬の負担をめぐってまで大きく結果を左右させるということになるのですから、訴訟にギャンブル的な性格が入ってくることは否めません。素朴に考えて裁判がギャンブルであってよいとは思えないのです。

 さて、更に考えてみましょう。
 まず弁護士の立場からです。弁護士は事件の相談を受けるとき、事件の勝訴の見通しを聞かれることがよくあります。これまでは弁護士はこの種の質問に対して、勝訴の可能性があると思った場合、「相手の対応や証拠の如何にもよりますが、あなたの主張のとおりであるならば、勝ち目はありますよ。」という程度のことは回答すると思います。ですが、弁護士費用の敗訴者負担制度が導入された場合、この問いの持つ意味は今まで以上に重大な意味を持ってきます。つまり勝訴して弁護士費用の負担の必要がなくなるか、敗訴して相手の弁護士費用も含めて、結局、二倍の弁護士費用を負担しなければならなくなるかの判断の前提にもなるからです。そしてこの問いに対して勝訴の見込みがあると回答したにもかかわらず、敗訴した場合、依頼者はどう思うでしょうか。中には弁護士に対して、着手金の返還を求める方や相手に支払わなければならなくなった弁護士費用を負担して欲しいと要求する方などもおられると予測されます。
  従って、弁護士としてはよほど自信の持てる事件しか取り扱わないという自衛措置を講じることになると思います。あるいは旧態依然で、「やっぱり知っている人の事件でないと、万一のときにどんな対応をされるか分からないから、事件は引き受けられない。」という態度になってしまいかねません。
 これは私の理想とする弁護士のあり方とかけ離れています。

 とはいっても、確実に勝てる事件に関しては問題ないのだ、見通しもつかないまま安易に訴訟をするという姿勢が問題なのだという意見もあるでしょう。しかし確実に勝てるような事件というのは、貸した金を返さない債務者に対する貸金返還請求や賃料を支払わないまま居座っている賃借人に対する明渡請求などに限られます。このような事件で敗訴者に弁護士費用を負担させるといっても、そもそも資力が乏しいのが普通なので回収できないでしょう。このような場合、弁護士費用の敗訴者負担制度などといってもほとんど無意味です。

 更に弁護士費用の敗訴者負担制度のもとでは、ただでさえ最近では和解や調停による円満解決の機運が芽生えることは少なくなりましたが、更に一層、和解による円満解決は期待できなくなることが予測されます。和解、調停が成立したときは、勝訴者も敗訴者もいないわけですから、弁護士費用は各自の負担となるはずです。ということは、勝訴の見込みがより明確になってきた段階で和解をするということは事件について一定の譲歩をするだけではなく、弁護士費用についても相手負担にすることができるのにその利益を放棄することを意味します。そのようなときに公平な解決を考えて譲歩しようという意欲はなくなるはずです。
  いきおい、民事紛争の解決が、更に一層、硬直化する虞もあるわけです。
  そこにはもはや「天秤の心」も働かなくなりますから、弁護士のバッチもデザインを変更しなければならなくなるかもしれません。

 というわけで、私は弁護士費用の敗訴者負担制度の導入については反対なのです。