NO.19  離れて暮らす親と子供の交流(「面接交渉権」)の再考察(1)




1  私が離婚の案件に携わることが多いことは前にもご紹介したところですが、今もその傾向は全く変わりません。
 その中で、最近、以前にも増して解決が困難になってきた問題が、今回取り上げる「面接交渉権」の問題です。
 面接交渉権というと難しく聞こえますが、ごく簡単なことで、結婚したものの相手とはうまくいかず別れることになったとしても、子供が自分の子供であって、自分にとって大切な愛情を注ぐ対象であることに変わりはないのだから、離婚するなど離ればなれとなって生活することになった後であっても、子供とは引き続き親として接する機会が確保されるというものです。夫婦は離婚して別れることがあっても、親子の縁が切れるわけではありませんから当たり前と言えば当たり前の話しですが、まだ小学生低学年程度以下の子供であると、結局は、子供を手元で現に監護養育している側の親(監護親)が離婚した相手と顔を会わせたくないために、いきおい子供も、離れて暮らす他方の親(非監護親)と顔を会わせる機会が持てなくなってしまいがちなので問題になるわけです。子供が思春期をまもなく迎えようとする年齢に達しているならばともかく、まだ幼い子供が自分自身で離れて暮らす親(非監護親)と連絡を取り合うということはまずないからです。 
  しかし、まだ小さな子供がいるご夫婦が離婚問題を抱えるときは常に面接交渉の問題が出てくるのかというと必ずしもそうではありません。何の問題もなく、子供と親との面会などの連絡が確保できているというなら当然ですが、全く子供と親との交流が途絶えてしまっている状況にあっても、特段、問題にならないこともあります。面接交渉をどうするかということが一応、課題にはなったとしても、離婚を巡る他の問題が解決すると、そのままうやむやのまま立ち消えになってしまうこともあるのです。
 ところがあくまでも私の感覚ですけれども、以前に比べて、ここ数年間を見ると、面接交渉を巡る対立が熾烈になって来たという印象を受けます。そして解決が困難なケースが増えてきているような気がします。
 そこでまず、その背景について私が考えていることについて触れてみたいと思います。
 一つには、非監護親にとって、
養育費を確実に支払いをしなければならないことになったということがあるのではないでしょうか。NO.12でもご紹介したように、養育費は一度でも支払いを怠れば、将来分についても差し押さえを受けることもありうると覚悟しなければならない制度になりました。しかも養育費については、いわゆる算定表に基づき機械的に決められることが一般化したため、一昔前に比べて高額化しております。
 そのため、養育費を支払わなければならないなら、当然、子供と会える機会を与えてくれないと納得できないという思いが強くなっているのでしょう。
 もう一つ、
晩婚化、少子化の影響もあるかもしれません。非監護親は、一度離婚するとなると、再婚してもさらに子供に恵まれることは期待できないのではないかと考えるのでしょう。新しい家庭ができて、また子供に恵まれるということであれば、どうしても前の子供に対する愛情は薄れてしまいがちです。それが人情です。しかし、さらに子供に恵まれることがないとすれば、せっかくの子供とのつながりを断ち切ることなく大切にしようと思うようになります。
 また他方で、監護親側でも、
ドメスティック・バイオレンス(DV)を受けていた場合の被害者としての権利があるはずであるとの意識が強まってきたという事情も大きいと思います。DVは、遙か昔から存在したはずですが、長らく、夫婦なら多少のことは当たり前、いちいち問題にしていても仕方がないという扱いでした。それが平成13年に「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」が制定され、今では配偶者からの暴力に悩む人で、この法律を知らない人はほとんどいないようなところにまでこの法律は浸透して参りました。そしてこの法律に基づく保護命令においては、一定の場合に、子供たちへの配偶者の接近をも禁止する命令を求めることができることとなっています。つまり配偶者からの暴力に悩んでいた人は、常に子供たちを相手に会わせなければならないとは限らない、子供たちを会わせることがむしろ子供たちにとっても不幸になる場合があるのだと考える際の有力な後ろ盾を得たことになったのです。
 かくして、非監護親は、子供との面接交渉を強く求め、他方、監護親は、それに強く抵抗するという対立構造が生じやすくなったのです。

 ところで子供との面接交渉が問題になるときは、家庭裁判所に家事調停を申し立てることになり、さらに、調停で解決できないときには、しかるべき審判が下されることになります。
 家庭裁判所が審判を下す際には、「子供の福祉」という視点を金科玉条にして処理します。子供の健全な成長のためには、母性も父性も共に必要であり、面接交渉を適切に行わないとそのバランスが損なわれてしまいます。そのようなことがあってはならないという観点で処理します。そして夫婦間の対立している懸案は、あくまでも離婚訴訟の場で解決するべきであって、親子の問題である面接交渉の場に持ち込むべきではないとして処理されるのが通例です。ということは、もちろん面接交渉を行わない方が子供の福祉に合致するというケースもあるにはあるのでしょうが、原則として、面接交渉の機会は与えるという方向で判断がされることになります。
 しかし私は、今日、そのようなきれい事だけでは解決しない場合が増えてきたということを家庭裁判所には理解していただきたいと思っています。
 すなわち非監護親の側が監護親に対して暴力をふるったり、暴言をたびたび述べていたりしたというような事情があった場合には、それが対立の根本に横たわっているわけですし、むしろ面接交渉をすることが子供の福祉に反するという考え方が十分、成り立つのです。
 そのような場合でも、裁判所として面接交渉の機会が与えられるべきであると考えるのであれば、非監護親に対して、暴力、暴言に対する真摯な反省を促し、監護親に向けての謝罪をさせ、併せて、今後、子供と面接交渉する過程で、子供たちには決して嫌な思いはさせないと確約させるようにするべきです。それをしないままに、監護親に対して「ご夫婦の問題と親子の問題とは別ですから、切り離して考えて下さい。」というだけでは、監護親においては、裁判所は「暴力や暴言があったということを信じてくれない」と不信感を抱かせ、面接交渉を受け入れる気持ちになかなかなれないままとなってしまうのです。
 そして仮に非監護親が、配偶者への暴力、暴言に対し、反省をしない、謝罪をしないというような場合には、家庭裁判所は、むしろ子供との面接交渉ができる環境にないとして申し立てを却下する勇気を持つべきだと考えています。 

 以上をご覧頂ければ、私が離婚に関連して面接交渉についての相談を受けた場合の私のスタンスはご理解いただけるでしょう。
 原則として、面接交渉は認める方向で対応します。仮に監護親から相談を受けて「面接交渉には応じたくないのです」といわれても、その要望には応えることができません。
 しかしもし、相手が暴力、暴言をふるっていた事実があるのに、それを頑として認めようとしない、謝罪はもちろんしないというようなときであれば、何とか面接交渉は先送りにできるよう努力いたします。
 逆に非監護親から「面接交渉を実現させてほしい」と相談を受けた場合、原則としてそのために尽力いたします。しかしながら監護親から暴力をふるわれたなどと非難されている場合には、まずその誤解を解くことが先決であり、それまでは面接交渉は求めても意味がないと諫めることにします。実は相手の非難が本当なのであれば、素直に認めて謝罪するようにと説得することでしょう。
 6   以上、離婚に伴う子供と親との面接交渉をめぐる問題について取り上げました。
 しかしながら、離れて暮らす子供と親との面会などの交流の問題は、離婚に際しての未成年の子供の問題だけではありません。子供が成人に達した後であっても問題は起こります。近年、長寿を保たれる方が多くなってきています。その代わり、残念ながら認知症が進むなどして、自分の意思では自由に行動できない高齢者も増えております。そういう高齢者となった親と、子供との自由な交流についても考えなければならない問題があるのです。
 次回は、そちらにスポットを当てて考えてみたいと思います。