自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律

 我が国に自動車が普及して交通事故が頻発するようになって以来、長きにわたって、自動車を運転するに際して必要な注意義務を怠り、人身事故を起こした場合、刑法第211条の業務上過失致死傷罪が成立するとして取り扱われておりました。
 その刑法第211条の条文は、「業務上必要な注意を怠り、人を死傷させた者は」と書かれているのみで、もともと自動車事故、交通事故を想定した条文ではありませんでした。しかし、解釈上、「業務上」というのは、別段、何らかの仕事をしている際にという意味ではなくて、反復的、継続的に、ややもすると人を死亡させたり負傷させたりする危険性のある行為を繰り返すこと意味するのだと解釈することによって、交通事故の場合に広く適用することができるとされていたのです。

 しかしながら、レジャーで自動車を運転していたに過ぎないときや、ずっと運転していなかったがたまたま友人の車を運転させてもらったようなときに、人身事故を起こした場合でも、「業務上」過失致死傷罪が成立するというのには、やはり素朴な違和感を感じざるを得ませんでした。
 そして、そのような違和感以上に切実な問題として、確かに運が悪かったとしかいいようがなく発生してしまった交通事故も少なくないとはいえ、運転者が運転に臨む態度から起こるべくして起こるような人身事故もあり、何よりも何の罪もない人が亡くなってしまうような重大な結果をもたらしているのに、刑罰の上限が5年の懲役というのは軽すぎないか、法定刑が軽すぎるために、相当に悪質な死亡事故であっても執行猶予がつくこともありえるが、それは望ましい量刑ではないのではないかという疑問が提起されるに至りました。


 そこでまず、刑法第211条に、新たに2項が追加され、従前の業務上過失致死傷罪と区別して、自動車の運転上必要な注意を怠って、人を死傷させた場合の刑罰の上限が懲役7年となりました。
 アマチュアドライバー、いわゆる「サンデードライバー」のようなドライバーが起こした事故で「業務上」過失致死傷罪を適用するという違和感を解消し、同時に、法定刑を少し厳しく変更することにしたわけです。
 そして同時に、危険運転致死傷罪が刑法208条の2(当時)に新設されたわけです。これは運転する技量のない者が自動車を運転したり、飲酒運転をしたり、信号無視の運転をしたり、更にはあおり運転をしたりした結果、人身事故が発生したようなときには、もはや単なる過失として責任を問うに留めるのではなくて、到底、自動車を運転するに際しては許容されない危険な行為をしたということ自体についての責任を問おうという規定です。
 つまり自動車により人身事故が発生したときに適用される条文が、長らく業務上過失致死傷罪(刑法第211条)のみであったのが、平成13年から、一般的には刑法第211条2項が適用され(過失運転致死傷罪)、特に一定の悪質な危険な運転行為をした結果の人身事故については、危険運転致死傷罪(刑法208条の2(当時))が適用されることになり、二つの条文が用意されることになったわけです。

 ところが、更に改正が重なります。
 平成26年5月20日に、標題に上げた「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」(以下「自動車運転等処罰法」といいます。)が新たに制定されたのです。
 その結果、平成13年に追加された刑法211条2項と刑法208条の2の規定は刑法から再び姿を消し、それらが自動車運転等処罰法第5条と、同法第2条にそれぞれ規定されることになったのです。
 刑法の条文だけを見れば、平成13年の改正前に戻ってしまったわけですが、現在では自動車による人身事故については刑法の規定により処罰されることはなくなり、自動車運転等処罰法違反として取り扱われることになったわけです。

 そこで、なぜわざわざ自動車運転等処罰法を別途、制定することにしたのかをご紹介します。
 それは、危険運転致死傷罪を新設して一定の危険な運転行為を厳しく処罰することにしたものの、いろいろな矛盾点や不都合な点が次々に浮上したからなのです。
 一つには、飲酒運転で事故を起こした場合、危険運転致死傷罪が適用されるのを避けるため、ひとまず現場から逃走し(つまりひき逃げをしたことになる)、酔いを覚まして飲酒運転であることの立証ができない状態になってから出頭した場合には、ひき逃げ行為をしたことになるにも関わらず、危険運転致死傷罪の適用を免れる結果、ひき逃げをしなかったときよりも軽い罪に問われるのみで済むという不都合が指摘されました。
 もちろんひき逃げをした場合も、道路交通法の救護義務違反として、かなり重い法定刑が規定されてますが、危険運転致死傷罪が適用された場合に比べれば軽いというわけです。
 この不都合を解消するために、自動車運転等処罰法では第4条で、そのような細工をすれば最大12年間の懲役が科されることを規定しました。
 また危険運転致死傷罪には、もともと自動車等を運転する技能を有しない者が運転して人身事故を発生させた場合にも適用される旨が規定されておりましたが、これはいかにも非現実的な規定であることが分かって参りました。つまり本当に自動車等を運転する技能を有しないのであれば、そもそも自動車等の運転などしようと考えるはずはありません。実際にはもともと運転技能を有していて運転免許を取得していたのに、何らかの理由で運転免許が失効してしまったり、免許が取り消されてしまうなどして現在については無免許である者が自動車を運転するわけです。しかしそういう無免許運転をしたとしても、自動車等を運転する技能を有していないわけではないのですから、無免許運転をしたというだけの理由では危険運転致死傷罪を適用することはできないと解釈されたのです。
 しかし無免許運転で自動車等を運転し、人身事故を起こしたということ自体、運転免許を有している者が運転した場合に比べて、その違法性は重大です。そこで自動車運転処罰法第6条で、事故を起こした運転者が無免許であった場合、その事故について危険運転致死傷罪が適用される場合であると一般の過失運転致死傷罪が成立する場合であるとを問わず、無免許の運転者に対しては、免許を有している運転者に比べ重く処罰できるように規定をしたのです。

 つまり、自動車運転処罰法は、危険運転致死傷罪を制定して、実際にその適否を論ずる際に浮上した不都合を解消するために新たに制定されたというわけです。犯罪一般について広く規定をしている刑法の中では、危険運転致死傷罪を制定したことにより生じた様々な不都合を解消するには無理があったというわけです。

 なお、私は従前から危険運転致死傷罪の危険行為については不明確な部分があるという意見を述べておりました。その点については、危険運転致死傷罪が自動車運転処罰法に移った今日にあっても全く解決しておりません。
 むしろ、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行」させた結果、発生した人身事故の場合と、「アルコール又は薬物の影響により、その走行中に正常な運転に支障が生じる虞がある状態で、自動車を運転し」た場合とで、法定刑を区別することにしたために、曖昧な点が増えてしまったように思います。「正常な運転が困難な状態」と「正常な運転に支障が生じる虞がある状態」とは、どのように区別すればよろしいのでしょうか。