皆様
数々のレスありがとうございます。
結局のところ、「無罪」を故人は活用することはできない。あくまで活用することができるのは遺族であることには変わりないように思えます。皆様がおっしゃるようにご遺族の気持ちは私もよくわかります。
しかし、ここで私が本当に皆様にお考えいただきたかったのは、何が何でも「無罪」を手に入れるまで戦える遺族がいる一方、痴漢冤罪で戦う力もなく、職を失い、家族を失い、中には自らの命さえ失った者が現実にいるということに眼を向けていただきたかったのです。「故人の名誉の回復」もご遺族にとっては大切なことですが、その力を見せ付けられる「回復できない生者の名誉」はどんどん影に追いやられることに気が付いていただきたいのです。自分にも支援者がいたなら・・・力があったら・・・・という思いでこの事件を見つめている者もいるのです。「有罪」を着せられたまま生きていかなければならない者もいるのです。「故人」の名誉のために多くの方が関心を寄せ、多くの専門家がコメントし・・・この状況を戦う力すらなかった「汚名」を着せられたまま「非難」され続けている方の心情にも少しでいいから眼を向けていただきたかったのです。眼を向けていただくだけで彼らには生きていくための力になるのです。
誰にも関心を寄せてもらえない「無名の被害者」への支援に私がこだわるのもここなのです。職場で・・居住地で・・・「ふしだらな女」という評価を回復できずに「生き地獄」を味わっている性犯罪被害者がいます。犯人ではないかと疑われ職場を・・・居住地を追われた殺人被害者の遺族がいます・・・。大きな事件に関心が寄せられ、議論が高まれば高まるほど「無名の被害者」や「表に出ない屈辱を受けた」者はとても悲しく、情けない気持ちになるのです。彼らの生活を回復させるには私一人の力はあまりも無力です。
大きな事件に多くの関心が寄せられるのは仕方がないことです。ですが、その関心と同時に一方で悲しい気持ちになる「生者」の存在に多くの人が気が付いて欲しいのです。今、社会は大きな事件に関心を寄せていますが、あなたの受けた被害者や屈辱も忘れていませんよ、という関心の寄せ方、議論にしていただきたかったのです。
「命があるだけマシじゃない」という二次被害を多くの被害者が受けています。この言葉は、生き地獄の始まりなのです。故人のために動く大きな力や社会の大きな関心は生き地獄に招待された方を一気に地獄の釜に突き落とす脅威であることも忘れないでいただきたかったのです。だから、どこまでいっても私の支援の対象者は「生き地獄」を味わっている方なのです。健全な「生」を営む権利と可能性を有している者に「生き地獄」以上の苦しみを味あわせたくないという私の思いを少しでもお伝えできたら幸いです。
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